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〈第2章〉聴覚刺激が脳力を向上させる

1. 脳力を向上させるには速聴®だけで十分

大脳を活性化する脳波をあなたも持っている

この本を読んで関心がわかなかったら、あなたの大脳からシータ波が発信されがちなことは、すでに話した。ところが、次のようなことがあったとする。
あなたが本書を、昼食を一食抜いて買い求めたとしよう。しかし、何ということか。あなたの期待に反して、さっぱり面白くない。とたんに、腹の虫がグウグウと不満の大合唱を開始する。
「食べるものも食べずに買ったのに!」
あなたは、当然カリカリするに違いない。そのときあなたの大脳は、「ガンマ(γ)波」を出すこともある。これは、あなたにとっても私にとっても、まことに悪い状態だ。もっと悪いことには、この波形は国際脳波学会では認められていない。


要はベータ波の延長にすぎないということなのだが、私は必ずしもそうとはいえないと思うので、どの本にもガンマ波を入れている。
これとは逆に、あなたと私にとって最も好ましい状況は、次のようなものだ。


あなたは、夜、寝床に入って、昼間購入した本書を読み始める。初めは、「どんなことが書いてあるのか、まあ、読んでみよう」といった程度の軽い気持ちの場合もあるだろう。ところが、内容にグイグイと引きつけられ、二時間ほどで全部読み切ってしまった。もちろんあなたは、時間のたつことなど、すっかり忘れていたわけだ。


このように、集中力が最高に発揮されている状態のとき、あなたの大脳は、「アルファ(α)波」と呼ばれている脳波のリズムで満たされている。このケースの場合は、主にあなたのおでこの側にある大脳の部分=前頭葉から出るアルファ波だ。ここからのアルファ波は、無意識のうちに集中力を発揮しているときに出る脳波なのである。この脳波が出ているとき、人はあまり疲れを感じない。


以前、『自分を思いどおりに動かす決定的条件』(きこ書房刊)を出版した際、多くの読者から(こうヌケヌケと書くのもどうか、と思いながら書いているのだが)、「ページをめくるのももどかしく、一気に読んでしまった」とか、「眠るのも忘れて、朝まで繰り返し三回も読んだ」というお便りをいただいた。
ごくまれに、「下らない。時間と金を損した」などと書かれた手紙もある。以前はそんな手紙を読むと、ガマンならないガンマ(γ)波となったこともある。この駄ジャレに使うためにガンマ波を残していた……わけではないが、これでは読者と執筆者双方が、限りなくガンマ波に近いベータ波を出している、という最悪の例であろう。


もっとも最近は、私はいかなる批判を受けようと、まったく動じなくなった。心理学ではこれを脱感作という。しかしそれ以外にも、「なぜ下らないのだろう」と分析を始めてしまう癖がついた。鉛刀の一割(役に立たないもの)というわけか、なるほどね、と三舎を避く(相手に一目置くこと)心境になったというわけだ。


昔は上り下りが逆で、京阪領域は上り、江戸は下りだった。上りの京阪領域で生産した諸々の道具類は、さすがによくできている。酒もそうだ。灘の生一本は江戸に下ってくるが、江戸のまずい酒は上方より下ってきたものではない。そこで、「てやんでぃ、どうせおいらが飲む酒きゃあ、下らねぇもんばかりよ」と江戸弁で管を巻くうち、「下らない」が一人歩きして独立した言葉になった、と私は記憶している。
試みに語源辞典を開いてみると、「『下る』に助動詞『ない』をつけたもの。『つまらない』」とある。大学の教授が編集した語源辞典にしては、下らない。


話を元に戻そう。激励のお便りは、執筆者冥利につきるわけだが、届けられた葉書や手紙を読んだときの私の大脳は、充実感でいっぱいになり、アルファ波が出ているはずだ。そして、このときのアルファ波は、主に後頭葉から出たものである。
アルファ波は、大脳のどの部位から出るかによって、またそのボルテージ(マイクロボルト)の強弱によって、あるときは集中力を、あるときは充実感を、あるときは瞑想を、そしてあるときはヒラメキやカンのよさを私たちにもたらしてくれる。


人間の感情は目まぐるしく変化するが、それに伴って、五つの脳波のどれかが優勢となって他の脳波を圧倒する。私は先に、「イライラは速読の大敵」と述べたが、これはイライラがベータ波を支配し、集中力を大幅に減退させるからにほかならない。
「では、大脳を必要に応じて、一定のレベルで継続してアルファ状態にし、同時に深いリラックス状態(これを『アルファ支配』と呼んでいる)にする方法はないのか」
あなたはこう考えるはずだ。実のところ、その方法は「ある」。脳をアルファ支配あるいは覚醒シータ支配にしてから「速聴」を行うと、よりいっそう効果的である。


目覚めていてシータ波が出ているはずがない、とベータ波を頭いっぱいに満たしながら主張するのは、欧米の科学者たちだ。「禅」や「ヨガ」や「気」で実例が豊富にある東洋のデータに耳を貸そうとしない。科学というのはもともと、西欧で確立された自分たちの学問であるという優越感を、彼らの一部は実際に持っている。そのことを知ったとき、何か新鮮な発見をしたような気持ちになったものだ。だが、彼らが何と言おうと、覚醒シータ波は現実に存在する。


ことに、ある目標や願望があって、そのために脳力アップを図りそれらを実現させたい人には、このようなアルファ支配や覚醒シータ支配と「速聴」をドッキングさせたやり方は、とっておきの手法といってよい。だが、そのような特定脳波支配に頼らずとも、単に脳力を向上させるだけなら、「速聴」だけで十分といえる。そこで両者の手法を適度にブレンドして、以下に述べることにしよう。

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大脳には海と同じようにウネリやナギがある

大脳は常時、脳波という微弱な電気を出しているが、それは五種類(国際分類では四種類)に大別される。たとえば、あなたがこの本を読んでいて、あまり関心がわかなかったとしてみよう。すると、大脳の中で人間の行為にブレーキをかける役割を持っているホルモンが分泌されることにより、あなたの読書をやめさせようとする。
大脳からこのブレーキがかかると、睡眠を司る脳の部分が、やはりホルモンの影響で活性化して、あなたのまぶたはだんだん重くなり、頭の中全体が何となく心地よい状態になってくる。この心地よさは脳内麻薬という名の数十種類のホルモンの働きによるものだ。


仕事で疲れたあと、フトンの中にもぐって眠るときの心地よさは、そのようなホルモンが活発に脳内にわき出ている証拠だ。放っておけば、むろんそのまま深く眠ってしまう。そして、このときあなたの大脳から出ている脳波は、「シータ(θ)波」と呼ばれるものである。
また、あなたが本書を、書店で立ち読みしていると考えてみよう。そこの店主は、現代的書店経営に無関心であり、昔ながらに立ち読みを嫌っていたとしてみよう。まさかハタキは持ち出さないにしても、その店主は何らかの手段であなたの立ち読みを妨害しようとするはずだ。
あなたが、繊細な神経の持ち主だとすると、その雰囲気を感じ取って、何となく居づらくなることだろう。たとえそうでなくても、店主から受ける無言の圧力で、読んでいる内容がさっぱり頭の中に入ってこなくなる。これは私も昔経験している。


世界的に著名な人類学者、今西錦司博士の『ダーウィン論』には次のようなことが書かれていた。
京都の三高時代(旧制第三高等学校)、授業がはねると三条麸屋町の丸善で洋書をあさり、その帰りには寺町二条の鎰屋という店で洋菓子を食べるのが、三高生の文化生活の一面だったという。
京都ではもう一軒洋書を売る店があり、大黒屋といった。この二階にあがって本の前に立つと、店の親父がつかつかとやってきて自分の後ろに立つ、というようなことがあったという。


こうした軽いストレス状態のとき、大脳からは「ベータ(β)波」という脳波が出ている。今西博士は、その大黒屋でダーウィンの『人類の由来』の英語版を買ったそうだが、そうするとこれは、かなりベータ波を出しながら買ったことになる。


あなたの場合、本を棚に返し、あたふたと書店を出たとしよう。
さて、出口に急いだあなたは、まことに運の悪いことに、マットレスか何かに足を取られて床にひっくり返り、コンクリートに頭を思い切りぶつけてしまったとする。もちろん、あなたはその場で気絶してしまうわけだが、このように脳が昏睡状態にある場合、大脳から出る脳波は「デルタ(δ)波」と呼ばれるもので、これは熟睡中にも出る波形である。


ここまでで、「シータ」「ベータ」「デルタ」の三つの脳波が登場した。残りは二つだが、これについては、書店の立ち読みから設定を変えて紹介しよう。

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眼の筋肉運動には速読はよい方法

ごく一般的な日本人が一分間で読むことのできる文字数は、おおよそ六〇〇字前後といわれている。そして、たとえ速読法をマスターしていなくても、この数字を上昇させることは可能だ。速く読む習慣を身につけさえすればよい。ただし、内容の理解度は低下するという前提つきではあるが……。


もっとも、 “慣れ” というものもある。たとえば、ビジネスパースンなら営業報告書、技術者なら自分の専門分野に関する技術論文といったように、日常読み慣れている文章であれば、理解度の低下を来さずに、かなりのスピードアップが図れる。このことは、すでに述べた「学習済みの音声では、いきなり四倍速で聴いても理解できる」ことと同じ理屈である。


ところで、日ごろ読み慣れている文章に関してだが、これにも限度があり、せいぜい一分間に一五〇〇字の速読が可能となる程度だ。この数値はほぼ正確である。


では、速読のトレーニングをするとどうなるのだろうか。
人間の脳というものは実に偉大なもので、速読の訓練をすると大脳はそれに応じて、通常の三倍程度まで速や読みができるようになる。つまり、一分間に一八〇〇字程度までは読解力が向上するわけである。これは、脳が新しく与えられた環境に順応したからにほかならない。言葉を換えれば、速読力という名の潜在脳力が開発されたわけだ。


ところがそれ以上の速読となると、大脳内の処理の方法が変わって「パターン認識」という処理がなされる。写真と同じことで、脳内に文字を写し込むのである。このパターン認識では、文章の内容を「理解」するわけではない(93ページの囲み参照)。
それはともかく、速読をマスターすれば、誰でも時間を三倍に活用できる理屈だ。この効果は、なかなかのものと考えてよいだろう。
とはいえ、この速読法にも問題がないわけではない。最大のネックは、マスターするまでのプロセスがかなり単調で、そこに面白味がほとんど感じられないという点である。よほどの動機づけがなければ、まず最後まで持続しない、と言い切っても間違いではない。


私はこれまで市場に出た五種類ほどの速読トレーニング・キットを購入して、さまざまな人(二〇人ほど)に使わせてみた(完全にマスターできたら最高五〇万円あげるというアメを使った)が、五〇万円の魅力より速読練習のつらさのほうが勝ってしまった。
ただ眼の筋肉運動には非常によい方法だ。眼球運動をすると、一つの文章から次の文章に目を移すとき、早く移すことができる。一つのセンテンスを目で読んでいる場合、眼球は動かない。これを停留という。眼球運動を速くすれば、停留から次の停留までの速度が速くなる。つまり、それだけ速く読める、というわけだ。


しかし、速読法は、年齢が上昇するのに反比例して、上達度のほうは急速に低下していく。
たとえば、あなたに小学生の子どもがいるとして、その子と速読法の競争をしてみれば、私の言ったことは一目瞭然である。あなたの子どもは、遅々として向上しないあなたを尻目に、スイスイと上達していくだろう。それを見てあなたは、イライラをつのらせるばかりに違いない。そして、このイライラがまた、速読法にとっては大敵なのだ。


同時に、スイスイ上達した子どもが、大人になるまで速読力を持ち続け得るかというと、そうでもない。大昔の話だが、私の姪が小学五年のときに、ある速読法を私から強制的に学ばせられてヒーヒー言っていたが、その上達率には驚くべきものがあった。実に一分間に約二八〇〇字も読めるようになったのである。
しかし、中学二年になったとき、その面影はなかった。中学二年というと、まだ速読の適性年齢である。本人に言わせると、どうもパターン認識のコツを忘れてしまったらしい。しかし、目玉は未だにキョロキョロしていて、というのは冗談だが、どうもパターン認識の度合いが弱いようだ。

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速読を身につけるのは普通の人には無理な注文

「速聴と速読は、どっちが優れているのですか」
私が「速聴」の話をすると、このような問いかけが必ずといってよいほど返ってくる。そうした際、私はまず速読の利点と欠点とをあげることにしている。その理由は次の二つからきている。


一つは、「時間の節約」という利点に関するかぎり、「速聴」と速読には大きな類似点があるからだ。そこで、より耳慣れた速読の利点を先に話したほうが、「速聴」に対する理解もスムーズにいくはずだと考えたわけである。
第二の理由は、速読の欠点をよく知っていただくことで、「速聴」の利点がより明確になるからである。


では、理由を述べたところで、まず速読から解説していくことにしよう。
のちに紹介するように、「速聴」(スーパーリスニング)には私たちが開発したノウハウ、すなわち「SLBS」(SUPER LISTENING PROGRAMS FOR BUSINESS LIFE, STUDY & SUCCESS ACHIEVEMENT)プログラムがこの世にたった一群あるだけである。


一方、速読には、何かの家元のように「○○流」がたくさんある。そうした速読法の中には、一分間に三〇〇ページの本を読むことができる、としているものもある。しかし、これはいくら何でも乱暴な話である。ページを目にも留まらぬ速さでめくるだけでも優に延べ三〇秒以上はかかるからだ。これは簡単な計算で証明できる。
たとえば五分の一秒という高速で紙を一枚めくったとしても、三〇〇ページ一五〇枚の紙をめくるには三〇秒を必要とするのである。そうすると、残りの三〇秒で三〇〇ページを「読む」(速読の場合、正確にはパターン認識)ことになる。つまり、一〇ページを一秒で「読む」ことを意味する。
ということは、このようなレベルに至るには、いくらトレーニングしたとしても、普通の人には無理な注文である。


このように、速読法には眉にツバをつけたくなるものもある。もちろん、実際に効果の上がるものもいくつかあるわけで、「インチキでなければ、ぜひ自分も身につけたい」と考えている人も多いはずだ。
第1章でも述べたように、現在の日本は、列島全体が情報の渦の中にあるといっても過言ではない。したがって、こうした多くの情報を素早く自分の脳に取り入れることができたら、これほど素晴らしいことはないわけである。


たとえば、裁判官などは速読法を最もマスターしたい職業の一つであろう。何しろ彼らは、原告や被告から提出される膨大な量の書類(ちょっとした民事事件でも、それらの書類を積み上げると、二メートルを軽く超すこともしばしばである)に目を通さなければならない。しかも、その事件一件だけにかかわっているわけではないので、限られた時間内で読まなければならない。


速読法を身につけることによって、大脳への情報インプットが一挙に高速化できるとなれば、まさに願ったりかなったり、ということになる。専門的にいえば、訴訟経済にかなっている、というわけだ。
医師も同様だ。世界中から論文やニューズレターがごっそりと送られてくる。これに全部目を通すのは、なまはんかな意思では不可能といってよい。


また、ビジネスパースンや経営者の中にも、山のような数の書籍や書類を何カ月もかけて読んでいる人々がいるが、速読法をマスターしさえすれば、今までの何分の一かの努力で、そうした書籍や書類の内容を頭の中にしまい込むことが可能になる。もし、本当にそうなれば、ビジネスのスピードアップ化(生産性の向上に直結する)も促進されるに違いない。
また、ビジネスパースンや経営者も、より多くの情報を素早く適切に吸収することができるので、情報の洪水におぼれずに済む。
企業のトップをはじめエクゼクティブたちは、自分のまわりに押し寄せてくる経営関連情報の渦の中で四苦八苦しているのが現状だ。


確かに、情報は豊富に手に入るが、では、さしあたりの重要度はどうかというレベルになると、その選別には恐ろしく時間がかかる。もっともファイリング(書類をファイルして整理する技術)の専門家が彼らのそばにいたら、ある程度は情報管理が楽になる。
ところが、速読法を身につけてしまえば、そうした悩みから解放されるだろう。なぜなら、選別に時間をかけるより、速読で情報をすべて頭の中にファイリングしてしまったほうが、はるかに手間いらずだからだ。もちろんこれは、一般の人々(つまり、これまで述べた人々以外)にとっても同様である。

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