〈第4章〉速聴®があなたの中に眠る脳力を開拓する
4.ここ一番の決断力は速聴®から生まれる
速聴®で決断力・先見力を開発するポイント
塚本幸一氏は、裸一貫から女性下着メーカー「ワコール」を興し、世界でも一流の企業に育て上げた創業者である。
1963年は、この塚本氏が最大の危機を迎えた年だった。なぜなら、この年、ワコールの労使対立が頂点に達したからである。ベースアップ、労務管理をめぐる交渉が難航し、労働組合創立以来の大規模なストライキが計画された。このストライキは何とか回避できたのだが、かといって、山積みされた問題が解決をみたわけではなく、かえって労使の不信感はつのるばかりだったという。
迷いに迷った塚本氏は、社員を小グループに分け、2カ月にわたって彼らの考え方を聴いて回った。そして、社員の間にある、会社、すなわち社長である自分に対する根強い不信感を取り除かなければ、この対立は解消しないことをはっきりと認識したのである。
塚本氏は、こうした社員たちの話をすべて頭の中に入れたうえで、ある決定を下した。その決断とは、まことに大胆なものであった。
自分は、人間尊重、社員との信頼関係を第一義にして経営を行ってきた。だったら、彼らを100パーセント信じたらどうだ。社員を信じるなら、タイムレコーダもいらないではないか。遅刻、欠勤、早退、勤務時間中の外出などをチェックするための、すべての管理をいっさいやめてしまおう。組合の要求にも、決して条件はつけまい。社員を信じるのなら、徹底的に信じようじゃないか。
塚本氏は、こう考え、そして、さっそく行動に移した。その行動とは、全社員を前に、こう宣言することだった。
「これまでのことについては、まことに申し訳なかったと思っている。君たちが経営者に対して不信感を抱くのは、当然だった。ついては、これから組合が文書で正式に提出する要求には、無条件で100パーセント応えることを約束する」
塚本氏のこの宣言を聞いて、びっくりしたのは組合の側だった。経営者から、「要求は100パーセントのむ」と言われては、うかつな要求はできない。組合の幹部は、要求を決めかねて、ある晩ひそかに塚本氏の自宅を訪ねた。
「ああは言っても、どうせ社長は本気ではあるまいから、非公式に相談をもちかければ、のってくるに違いない」
おそらく、その幹部は、こうした読みで “ボス交” を行おうとしたのだろう。しかし、塚本氏は本気だったのだ。
「私は、やるといったらやるんだ。要求はいくらでもかまわないから、文書にしてさっさと持ってこい!」
こう一喝して、組合の幹部を追い返してしまったのである。
管理をいっさい撤廃し、要求を100パーセントのむということは、経営権を組合に渡すのに等しい。ここにいたって初めて、組合では、塚本氏が言った「社員を100パーセント信じる」という言葉を、真実のものとして受け取ったのだ。塚本氏は、みごとに最大の危機を脱したのである。
塚本氏が、「自社の中から管理を一掃する」と考えたのは、氏の優れた決断力と先見力を示す好例だろう。なぜなら、管理は相手に対する不信感をシステム化したものだからである。その最たるものは管理社会である。
コンピュータで、国民一人ひとりに番号をつけるというのは、つける側にとってはこれほど便利で能率の上がるものはないが、つけられる側はたまったものではない。
社員をただ締めつけるだけでは、企業の成長など望むべくもない。「ワコール」を世界的企業の一員にするには、経営者と社員が相互信頼のうえに立ち、協力していかなければならない。
塚本氏は、こう考えたから、タイムレコーダを廃止しようとしたのではないだろうか。
そしてもう一点の、決断力については、改めていうまでもないだろう。
「社員を信頼し、組合の要求は100パーセントのむ」
企業をよりよい方向で成長させるためということで、これだけの決断ができる経営者は何人もいないはずだ。当然のことで、なかには管理を一掃したとたん、ズル休みが出るわ、遅刻は常習になるわで、メチャメチャになる会社もある。中堅企業以下ではそうなる可能性のほうが大きい。
しかし塚本氏は、自社はそうならない、という先見力を持っていたのであろう。なぜならそういう先見力がなければ、これほど危険なことはないからである。
もともと塚本氏は、人並み以上の先見力と決断力の持ち主だったのだろう。しかし、その脳力を、これまで紹介した形で飛躍させたカギは、社員の考えを寸分もらさず聞き取ろうとした、あの2カ月にあったのではないだろうか。
社員の自分に対する不信感を耳にするたび、塚本氏の全脳は、解決の糸口を探して活動し続けたはずだ。しかも、塚本氏の行為は、全社員に及んだのである。その情報は、塚本氏の脳を間断なく刺激し、先見力と決断力を、それ以前より大きく向上させたに違いない。
塚本氏に限らず、人生は、決断の連続といっても決して過言ではない。そして、こうした決断の水先案内人として行動に方向づけをするのが先見力なのである。
塚本氏の場合、無意識にではあるが、先見力と決断力のパワーを高めるため、聴覚を活用していたことは、想像に難くない。
もしあなたが、優れた先見力と決断力を身につけたいと願うのであれば、具体的な能力(スキル)開発用ソフトウェアを「速聴」するようお勧めする。なぜなら、それがあなたの先見力と決断力を発達向上させるための、最短距離を走ることに通じるからである。
「速聴」であなたの決断力・先見力を開発するために見逃せないポイントはこれだ
1・・・決断力・先見力は、行動の最終決定を総合的見地から下すための脳力である。
2・・・危機は、決断力・先見力を向上させる絶好のチャンスだ。
3・・・具体的なスキル開発用ソフトウェアを「速聴」すれば、決断力・先見力は自然にパワーアップする。
決断力と先見力のなさが行動に迷いを生じさせる
これまで本章で述べてきた「記憶力」「集中力」「創造力」「表現力」「判断力」「理解力」は、たとえば経営など、その他もろもろの人間の営為(いとなみ)に際して、行動のベースとなる脳力である。
つまり、こうした脳力を駆使して、情報を収集・選択・蓄積・分析し、次の行動を生み出すための材料を探し、創り出していくわけである。単純にいうと、以上のような脳力は、いわばジェット機を製作する際の頭脳エネルギーに該当する。
一方、決断力と先見力は、こうして完成されたジェット機をいよいよ離陸させ、操縦しているときの脳の働きを意味する。
ジェット機が間違いなく離陸するか、無事に目的地まで着くのかどうかは、やってみなければわからないが、行動のベースとなる脳力のチェックが正しく行われていれば、安全性は限りなく一〇〇パーセントに近くなる。決断力と先見力は、そうした総合的な見地から、「イエス」「ノー」を決定するための、重要な役割を担っている脳力なのである。
経営者に限らずビジネスパースンであるなら、ある新しい行動を決定する場合、それが危険度の高いものであれば、決断に迷い抜くものである。
しかし、ギリギリの局面になれば、頼れるのは自分一人だけだ。いや、正確にいうなら、自分の脳力だけなのである。
「もし、新しい方向性を正確に見極める先見力があれば、そしてそれを果敢に実行に移すことのできる決断力があれば……」
そう、それがあれば、あなたはいたずらに迷うこともないだろう。そして、あなたはその脳力を何とか自分のものにしたいと願っているはずだ。それなら、その願望を実現するためには「速聴」を行うことがいちばんの方法である。
潜在脳力開発のパワーは視覚より聴覚が数段上
あなたもご存じのように、人間には、「聴覚」「視覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」の五感がある。
「超感覚的知覚」を加えて六感あると主張する人もいる。私もその一人である。しかしこの感覚は持っていないと思っている人々もいる。実際には持っているのだが、「科学」という名の宗派のとりこになって、このような知覚に盲目となってしまっている人が多いのが現状だ。
このように頭から信じない人もいるので、ここでは誰もが持っていて頭から信じられる感覚だけにした。
もっとも五感のうち、一感以上を何らかの理由で欠いている人もいる。私は、飲酒すると嗅覚がなくなる。正座していると足の触覚は皆無となり、何というか、これこそ七感目に該当するものではなかろうかと思いたくもなる、気持ちの悪いジーンとした感覚で、しばし口もきけなくなる。
味覚のうち、「うま味」を “独立した味覚” として分類しているのは一部の日本人だけである。欧米人の舌は気の毒にも「うま味」を知らない。したがって独立項として分類しようがないため、「味覚に関する科学」に「うま味」は存在しない。
さて私たちは、この五感を通じて外部の情報を脳に送っている。したがって、どれも大切な情報収集のための感覚なのだが、とりわけ「聴覚」と「視覚」は、これを失うと社会的活動が極端に制限されるので、五感の中でも上位に置かれることになる。
これについては、あなたも十分にご理解いただけよう。またこれが欠けると、別の感覚が鋭敏になることはすでに述べた。
青森の下北半島にある霊場、恐山の「いたこ」は視力を欠いている。「いたこ」の口寄せの内容は、誰でも同じようなことを言っているような、また、どうとでもとれるようなことを話す場合も多いが、なかには、「いたこ」が知るはずもないことを話すこともある。これなどは、視力欠損の代償作用で超感覚的知覚が顕在化したのかもしれない。
では、人間の生活にとって欠くことのできないこの聴覚と視覚では、どちらがより重要なのだろうか。実際はどちらともいいがたいのだが、こと潜在脳力の開拓向上に関してなら、その重要度は聴覚が視覚を上回ると考えてよい。
すでに第1章で述べたように、目は人間の体外諸器官の中で、衰えが最も早くやってくる。だから、視覚を鍛え、その汎化作用によって脳の他の部位も発達させようとすることは、聴覚を活用することに比べれば不利なのである。
もし目を酷使すれば、たちまち視力が低下し、眼鏡の度はどんどん進んでいってしまうだろう。これでは、汎化作用どころの騒ぎではなく、かえって情報収集力に齟齬を来す結果にもなりかねない。もっとも眼球を動かす筋肉のトレーニングも含まれているので、その点は有用である。
戦時中、まだレーダーがその十分な効用を発揮できなかったころは、パイロットの目がレーダーの役目を果たしていた。優秀なパイロットは普通の人では見えない遠方の敵機を視認することができたが、やはり高齢になるにつれ、視力は低下していったという。
一方、聴覚は、激しい騒音の中で毎日暮らすというような劣悪な環境にでも身を置かないかぎり、視覚と違って急速に衰えることはまずあり得ない。というより、ノーマルな音の環境であれば、聴覚は鍛えれば鍛えるほど、鋭さを増してくるのである。
聴覚と視覚のこの差は、極めて重要である。私は四七歳ころから、小さい文字を多少、顔を後ろにそらせて見ている自分を発見(自覚)して、「ああ、とうとう来たか」と、いささかさみしくなったものだ。視力は右一・五、左〇・八をいまだに維持しているので、そのときはウイスキーのせいだったかもしれない。もっとも今ではパソコンのせいにしている。
そのうちに、物質というものはもともと霞んでいるのである、と私が主張し出しても、あなたはまともにこれを受け取ることはない。
老眼はこれまで不治とされてきたが、私はぜんぜん悲観していなかった。眼球内にセットできる補正レンズが開発されると確信していたからだ。
これまで何度か言及した「楽観性」とは、こういうことだ。むろん、それまでに私が存在していようといまいと、そのようなことは関係ない。問題は、生きていそうな確率範囲内で夢が実現できそうか否か、それだけのことだ。
それはさておき、私は本書で、「汎化作用」について、その効果をたびたび強調してきた。汎化作用は、特定の脳力が活性化し、その力がある一線を越えたときに全脳が活性化する作用のことだ。聴覚というのも考えようによっては一つの脳力であり(私は聴脳力と呼んでいるが)、この聴覚を鍛えることでも汎化作用は生じる。
であれば、鍛えることによって衰えるのではなく、かえって発達する聴覚にその役目を担わせるのが、最も合理的なやり方になる。
視覚は、文字、映像に関する情報については、極めて重要な器官である。したがって、この種の情報については、視覚に任せるようにする。
鍛えることによって衰えると書いたが、鍛えるとすぐ衰えるという意味ではない。やはり視覚も鍛えればそれなりのパワーアップはするが、しかし体のどこよりも、衰えるのがいちばん早いという意味だ。
片や聴覚は「ウェルニッケ中枢」に直結しているのである。また、音について抜群の情報収集脳力を誇っている。
さらに注目すべきことは、聴覚と密接な関係にある「ウェルニッケ中枢」の発達によって、この章で紹介したような潜在脳力が開発向上される点である。
以上のことからおわかりのように、聴覚と視覚は、情報収集脳力については優劣をつけがたいが、「ウェルニッケ中枢」と直結して潜在脳力を含めた全脳を活性化できるという “総合力” で見るかぎり、聴覚のパワーは座頭市ではないが、視覚のそれを完全に上回っているのである。



