〈第2章〉聴覚刺激が脳力を向上させる
2. 速聴®に“苦痛を感じる” 努力は不要
二〇歳を過ぎると速読脳力は急低下する
もう少し速読にお付き合いいただきたい。
「速読で、一分間に一〇〇万字読んだ」
「速読は、誰にでも簡単にできる」
「速読こそが、情報化時代に取り残されないあなたをつくる」
など、速読の謳い文句はそこかしこにあふれている。
しかし、驚くべきことに、これまで速読の開発者、またインストラクターとして活躍し、本まで出していた人で「速読スピードは水増ししたもの」、「速読は難しい」などと自著で速読否定、自己批判をしている変な人もいる。四柱推命の本を書き、よくその占いが当たるので大ベストセラーの記録を打ち立てた著者が、「あれは全部ウソ。中身は出鱈目」と言って筆を折った例もあり、世の中にはいろいろな人がいるものだと思う。
それはともかく、私は決して速読の否定論者ではない。ただ、速読のチャレンジャーたちは、その期待をほぼ確実に裏切られる、という現実は無視できない。
確かに、私の研究所でも、トレーニングを積めば、一分間に最大八〇〇〇字を読解することが可能という結果が出ている(ただし速読法による訓練ではない)。また、速読法をマスターした人の中には、一分間で一〇〇万字はともかく、一万とか二万字程度の文章が読解できるようになる人もいるという。しかし、もしそれが事実なら、あくまでも特殊なケースであろう。
教育学博士の佐藤泰正筑波大学教授は、「一万字読むというのは不可能」と眼球運動理論から断言されている。飛ばし読みや抜かし読みなら別だが、それは理解を伴う読みではない、といわれる(『速読の科学』講談社)。
しかし、カルチャーセンターなどで速読に挑戦してみるのはよいことだ。皆で学ぶということは、生きがいを生む。速読脳力に大きな変化がなくても、この場合、生きがいのほうが大切なのだ。
速読をやってみようという人には、いささかショッキングな話かもしれないが、当社でデータを集めて分析した結果、次のようなことがわかった(むろん、この公式に合わない例外者もいるが)。
「二〇歳以降、速読脳力は、一般的に幾何級数的に低下する」。幾何級数的にというのは、倍々に増加あるいは減少すること。たとえば二五六、一二八、六四、三二といったように次々と半減していくこともこれにあたる。
なぜそんなことになるのかと首をかしげる人がいるかもしれないが、原因は極めてはっきりしている。
「パターン認識脳力の衰えが、速読脳力を低下させてしまう」
人間の肉体には、一〇代の後半から “老化” がしのび寄ってくる。そして、この老化の兆候は、表面的にはまず目、そして歯、脚、耳の順で表れてくる。一方、脳についても、二〇代の半ばを過ぎると、老化が始まる。一般的には、四〇歳を境にしてボケの兆候が急増するとされているので、脳に関する真の老化は、このあたりからと考えてよいのではないだろうか。
いずれにしても、肉体、脳とも、あなたが想像しているよりずっと早く老化を迎えるわけだ。しかし学習脳力や創造力は、常に意欲を燃やして何かを学ぶ姿勢と運動などの刺激によって、神経細胞が新たに生まれることがわかってきた。
これはどういうことかというと、二〇〇〇年二月にワシントンで開催された神経新生シンポジウムでのアメリカ・ソーク研究所のフレッド・ケージ博士らの発表によると、脳神経細胞は新たに生まれることはない、といわれていた定説が、動物実験段階ではあるが、運動などの刺激によって、脳で神経細胞が新たに生まれたというのだ。
発表では、遊び道具のある広い環境下においた実験で、回し車で好きなだけ走ったネズミは、走ることができない環境下のネズミよりも多くの神経細胞が新生していたというのである。
その後、あらゆる脳科学者の間で研究が進められ、脳神経細胞は再生するという研究成果が発表されている。ご存じの読者も多いことだろう。
しかし、文章全体を、「読む」という刺激ではなく、「パターン認識」(あたかも写真のように、頭の中に一ページ全体を複写していく)する「速読法」は、大脳でのプロセスが複雑なので、どうしても年齢が増すごとに弱くなる。
世に、速読の天才とされる人は何人かいるが、そのほとんどは二〇歳前後の少年少女で占められているのだ。現実を知れば、それもむべなるかな、といったところだろう。
ただ、救いがまったくないわけではない。何度か紹介したように、当社では、脳をアルファ支配にすることによって、一分間に八〇〇〇字の速読力(ただし持続性はなかった)をつけることに成功している。そしてこれは、四〇代、五〇代の人についても有効なのだ(全員ではないが)。
通常、大脳がアルファ支配にあるかどうかを、自覚することはできない。そこで当社では、大脳からアルファ波が出ていることを知らせることによって、ますますアルファ波が出やすくなる特殊な装置を利用する。“サイコフィードバック・システム”というもので、この装置でトレーニングを行えば、ごく短期間で脳をアルファ支配下に置くコツを身につけることができる。
また、シータ・ラーニング・システムという装置は、呼吸法を用いて脳を覚醒シータ支配にする装置である。これは正しい呼吸に応じて内蔵の脳力開発ソフトウェアや語学ソフトウェアがストップ・ランするので、自己開発のみならず健康にもよい。
このシステムによって、「気」を強く出せるようになった人もいる。これらの人々は、もともと「気」を強く出すためにこのシステムを利用したのであるから、当然といえば当然だが、特にそう意識しないでも「気」を強める効果はある。これは正しい呼吸法によって大脳を覚醒シータ支配にもっていくものだから、開発者の意図とは異なるが、本来は「気」のためのシステムといってよい。
これらのシステムでのトレーニングの直後に「速聴」を行うと、速読脳力の開発向上を確認することができた。理由は簡単だ。いわゆる「速読法」はパターン認識という方法で、文章全体を脳に写し込む方法を取っている。
しかしアルファ支配(あるいは覚醒シータ支配)の直後に二・七倍速程度の「速聴」を三〇分ほど行うと、それを終えたあとでの速読は、文章の理解力を司る「ウェルニッケ中枢」が活性化されているまさにそのとき行われるので、文章を早く理解できるのだ。しかもパターン認識のように、複雑な処理を脳に求めないので、高齢者でも、比較的落ち込みが少ないのである。
こうして、「頭の回転」を速くすることにより、速読を達成しているところが、他の「速読法」とは異なっている。
しかし私たちはこの「速読法」の研究を一九八六年に放棄した。速読法が、まさにそのテキスト・ブックの中身の図式のように、入口から出口まで迷路のごとくなっているのと異なり、「速聴」は、「ただ聴くだけ」という極めて簡単なシステムになっているためである。
また、特に速読を意識しなくても、「速聴」をやれば自然に速読(一分間に一万字などというのは無理だが)が身につくのである。したがって、速読力は、他の多くの開発し得る脳力の一つということで十分、と判断された。
しかも「速聴」するソフトウェアも飽きのこない脳力開発プログラムで構成されているので、達成時にはさまざまな夢がある。ということで、いずれ「速聴」のほうが、速読法を駆逐するだろう、と判断したためだ。
それには速読は「速読法」というように「法」がつくが、「速聴」は「法」をつける必要がない。ただ聴くだけだからである。音のシャワーを浴びるだけだから、気分も爽快になる。
これは曹洞宗(九世紀に唐で禅宗の一派として成立。一三世紀前半に道元によって日本にもたらされた)の座禅の特色である「只管打坐」と同じである。この場合は只管(ただひたすらに)打坐(座禅すること。「打」は “to do” の意味)ということになるが、「速聴」は「只管打聴」とでもいえようか。
禅宗の一方の雄である臨済宗の臨済禅は、多くの修行、厳格で激しい教育、公案の重視など、曹洞宗とは対象的な禅法を特色としている。速読法はしたがって臨済的であるといえるだろう。「自彊して息まず(自分を励まし、努力をやめないこと)」(「易経」)という言葉があるが、おのずからやむことのない努力がそこには求められているのだ。
| 「速読」と「速聴」の機能はまったく異なる。 およそ3000字以上の「速読」は、文章を読むのではなく、 パターン認識(頭の中に、写真のように写し取ること)に切り替わる。 これはまた別の大脳領域を用いる。 しかし、「速読」の内容を本当に理解しようとするならば、その大脳領域で写し取った 文章を「ウェルニッケ中枢」に戻して、「追唱」する必要があるのだ。 これは牛の食事と同じである。 牛のような反芻類では、いったん咀嚼した飼料を、 前胃で発酵させ、再び口の中に戻して咀嚼する。 こうして消化を確かなものにするわけだ。 しかし、「速聴」をマスターしたときに速読力が向上するのは、 「追唱」の速度が速くなったことによるもので、 ことさら「速読」の学習をする必要はない。 ただ、この場合、2.7倍速以上で聴けるようになれば、効果はより顕著になる。 |



