〈第2章〉聴覚刺激が脳力を向上させる
2. 速聴®に“苦痛を感じる” 努力は不要
音声はストレートに「ウェルニッケ中枢」にインプットされる
ところで目は、すでに述べたように、肉体諸器官の中で、衰えが最も早くやってくる。ことに四〇代、五〇代になると、老化は孤城落日のようにその速度を急ピッチで上げてくる。速読は、言葉を換えれば、この目の筋肉を酷使することで初めて成り立つのである。
酷使と書いたが、この場合、決して悪い意味ではない。普段使っていなかった目の筋肉をフルに使うということだ。初めはきついが、練習で慣れればあとは楽だ。
では、ある意味でトレーニングさえ不要で、さらに衰え始めた目に頼らず、しかも速読のように短時間のうちに大量に情報を脳に収める方法はないものだろうか。
こう考えるあなたは、もう一つ、目と同じく脳の出先機関である優れた器官を思い出すはずだ。それが耳であることは、改めていうまでもない。耳の利点は、脳と短距離で直結していることのほかに、目と違っていちばん衰えが遅い点にある。鼓膜は目のように、それを動かす筋肉が不要な点も利点になっている。動かしてくれるのは、外部から飛び込んでくる音声それ自体だ。
したがって、脳をアルファ支配、あるいは覚醒シータ支配下に置き、「速聴」をフル活用(脳波支配は必要条件ではないので、省いても構わない)すれば、耳は目に優る情報収集器官となってくれるのである。
しかし、より重要なことは、文章の理解という点に関しては、音声は耳からストレートに「ウェルニッケ中枢」にインプットされるが、文章は目から大脳の視覚野を経て、次に「ウェルニッケ中枢」で音声化されてからインプットされる、つまり、多少遠回りするという点だ。
いわゆる通常の「速読法」では、パターン認識という方法で脳に文章を写し取るわけだが、それでも、実際の文章を理解しようとするときは、そのインプットされたパターンを一つひとつ音声にして「追唱」しないと、完全な文章の理解は不可能なのである。
小説とか観光案内書などでも、そのような過程を経るわけだが、まだ楽なほうだ。しかし、法律書や科学技術書などは、そういう意味では速読があまり役に立つとはいえない。
そこで「速聴」にスポットが当てられるのである。
しかし、これまでの解説でおわかりのように、「速聴」そのものは、決して特殊な概念ではない。さらに、この「速聴」を身につけるのに面倒なことはまったくないのである。しかもこの「速聴」を手段とするさまざまな脳力の向上には、それに着手しようとする人をためらわせる“単調な努力”というものを必要としない、というのが特徴の一つだ。



