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〈第2章〉聴覚刺激が脳力を向上させる

2. 速聴®に“苦痛を感じる” 努力は不要

「努力」というものは、必ずしも苦痛を伴わない

「『速聴力』を身につけるのに、無駄な努力はいっさい不要です。苦労は、すべて機械が肩代わりしてくれます」
「速聴」の評判を聞いて当社を訪れてきた人たちに対してこう言うと、怪訝そうな顔をする人がいる。私は、こうした人たちに、次のような話をすることにしている。
あらゆる文明は、人類の絶え間ない努力によって築かれてきた。これは、個人の歴史も同様である。たとえば、オリンピックの金メダリストは、自己を律する厳しい努力を重ねることによって、初めて勝利の栄冠をその手に勝ち取ることができるわけである。また、創業者は、血のにじむような努力を続けることで、会社を発展させることに成功したわけだ。


「発明とは、九九パーセントのパースピレーション(汗=努力)と一パーセントのインスピレーションによって成る」
これはもう十分使い古された、発明王エジソンの有名な言葉だが、まさに核心をついている。
彼は電球のフィラメント(電球の発光部分。「連続した長い繊維」というのが本来の意味。したがって髪の毛もフィラメントである)にさまざまな物質を用いて実に一万回以上、失敗を繰り返したが、誰かが、「一万回も失敗した」と言ったとき、直ちにこう言ってのけた。
「いや、それは違う。これまで用いてきた一万種類以上のフィラメントは、役に立たないということがわかっただけ。わかったことを失敗だなんていうかね?」
この言葉に代表されるように、人類の進歩の多くは努力(しかも楽観的な)の産物なのだ。もちろん、私もこれを否定するものではない。しかし……、と私は思う。


確かに、何かを産み出すのに努力は不可欠である。では、この努力には “苦痛” も不可欠な要素なのだろうか。私は必ずしも、それを絶対条件とは思わない。エジソンもおそらく同じ考えのはずだ。なぜなら彼は、発明することが喜びだったからだ。発明することが苦痛なら、とっくに投げ出していただろう。他人から強制されていたわけではないのだから。


私のこの考えを理解していただくには、まず “努力” の性質をいくつか分類する必要がある。ただし、純粋にこれは1の努力、これは3の努力などという区別はできない。相互に関連している、あるいは重なり合っている場合が多いからだ。ただ一応の目安としては、次のように分類可能ではないか、と私は思う。


1・・・本能的な努力[本能的]
呼吸その他、本能に由来する努力。一〇〇キロ先の恋人のもとに毎日通うのもこれに該当する。しかし当人は普通それを努力とは思わない。恋して通えば千里も一里というわけだ。


2・・・機械的な努力[自動的]
自発的だが、3以下の努力が「習慣」にまで高められると、この2になる。また、パラノイア(偏執病)のように、夜、家中の鍵が本当にかかっているか、何度も確かめたりする事例も含まれる。人間は程度の差はあれ、偏執的な性格の側面を持つ場合が多い。本書でも同じことの繰り返しが多いが、これは「はじめに」で述べたとおり、意識的にそうしたにすぎない。


3・・・受け身の努力[受動的]
何もしなければ生存が危うい、などという場合にする努力。この努力は、習慣になれば苦痛はさほど伴わない。無意識の努力も本来はこの範疇に入る。たとえば、危険の回避行動がそれだ。


4・・・恐怖による努力[消極的]
何もしなければ怒られる、などという場合にする努力。これには苦痛が伴う。


5・・・報酬による努力[積極的]
何かをすれば報酬を得ることができる、などという場合にする努力。苦痛はあるが、報酬に対する期待で相殺されることもある。本能的努力はこの範疇に主に属するが、次の6とも重なる部分がある。


6・・・自発的な努力[能動的]
自己実現などに向けて、自ら設定した目標を達成するために行う努力。第三者からは苦痛が伴っているように見えても、当人にとっては満足感がもたらす充実感がある。宗教的使命感もこの分類に属する。


このように分類してみると、努力というものは、必ずしも苦痛を伴うとはかぎらないことがおわかりいただけるだろう。
なかでも、6の「能動的努力」の場合、少なくとも主観的には苦痛を感じないケースもあることは、あなたもきっと体験したことがあると思う。5の「積極的努力」も、同様な場合がある。


以上のように、私が「速聴力を身につけるのに、無駄な努力はいっさい不要」というときの「努力不要」は、「何もしなくてもよい」というのではなく、「苦痛のある努力は不要」という意味にほかならない。
もっとも、いくら本人にとって能動的な努力でも、やはり苦痛を感じて、途中で投げ出してしまう場合もある。


たとえば、速読のトレーニングなどは、その典型といってもよい。
それに引き換え、「速聴」は、「やろう」という意欲さえあれば、あとはサイコフィードバック・システムで脳をアルファ支配(アルファ波が継続して出ていて、なおかつ深くリラックスしている状態をいう)にするか、シータ・ラーニング・システムで脳を覚醒シータ支配(睡眠時によく出るシータ波が、覚醒時に継続して出ている状態をいう。したがって「覚醒シータ支配」とも呼ぶ)にして、何倍かのスピードで再生される音声にさり気なく耳を傾けていればよいわけである。
もっともこのような装置がなくとも、時間を多少かければ結果は同じだ。この程度の努力であれば、一〇人中一〇人、例外なく持続できるだろう。