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〈第2章〉聴覚刺激が脳力を向上させる

3. 速聴®の世界に一歩踏み込めば、未知の自分の脳力と出合うことができる

脳をアルファ支配にしたとき、潜在脳力が顕在化する

以前、禅宗のあるお坊さんからこんな話を聞いたことがある。
そのお坊さんは、仏門に入る際、修行のため数年、山の中の道場に入ったという。当然ながら、道場の日課の中心は座禅である。彼は、毎日何時間も、壁に向かって座禅を組み続けた。それは、一〇時間を超すことも珍しくなく、なかなか大変なものだったという。
もちろん彼は、道場に入り座禅三昧の日を送る中で “悟り” を得ようとしていたわけである。しかし、意に反して彼は、修行の間これと自覚できる形で悟りを得ることはできなかったそうだ。失意のうちに山を降りた彼は、父の跡を継いで自分が生まれた寺の住職になった。


父親の人徳もあり、彼の寺には檀家の人たちが、さまざまな相談事を持ち込んでくる。父親が不在の場合、彼が相談相手になるのだが、そうしたことを続けるうちに、あることに気づくようになった。その「あること」とは、「相談を持ちかけてくる相手の心の中が、まるで手にとるかのごとくにわかる」というものだった。
もっとも、最初からそれを自覚していたわけではない。初めのうちは、「あなたはその問題について、こう考え、こうしたいと思っているのではないですか」という自分の問いかけが相手の意図するところと同じであっても、単なる偶然ぐらいに思っていたという。
しかし、その “偶然” が度重なるうちに、「どうしてなのか?」と疑問を抱くようになったという。彼は、原因を考え続けた。そしてあるとき、一つのことに思いあたったのである。


「私は道場で座禅を組むとき、常に「自分は “無” になるんだ」という心構えで取り組んできました。初めのうちは、俗世間のさまざまな雑念が頭の中に浮かんできて、なかなか思うようにはいきませんでした。
しかし、一年、二年と座禅を続けていくうちに、ふと、座禅をしている時間の長さがまったく気にならない自分の姿に気がつくようになったのです。つまり、その間私の頭の中は、まったく空っぽになっていたわけです。


『これが “無” になるということなのか』
私は、あとでこう思いました。もっとも『これが “無” か』などと思ったら、もはや
“無” ではない、という複雑なところがありますが、それはともかく、悩める人たちの話に耳を傾けるうちに、それが甦ってきたのです。
檀家の人たちの悩みを聴くとき、私の心は自然に “無” の状態になっていたのです。言葉を換えるなら、私の心は、あたかも一点の曇りもない鏡のようになり、相手の言葉の奥底にあるものをそこに映し出していたのでしょう。それで私は、相手の考えていることが、手にとるようによくわかったのだと思います。


私は、修行時代『これ』とわかる形で悟りを得ることはできなかったと思い込んでいました。しかし実際は、『心を無にする』という技術を、ある程度は身につけていたのです。私はこのことを『檀家の悩みを真剣に聴く』ということで、はっきりと自覚することができたわけです。
おそらく、禅僧の悟りはさまざまでしょうが、私は自分の得たもので十分に満足しています。そして今後は、それをより大きく育てていきたいと考えています」


彼は今でも毎日、座禅を組み、修行に努めている。十分に満足している、というのは謙であろう。座禅は、修行者をして大悟に至らしめることを必ずしも保証しないが、脳をアルファ支配、覚醒シータ支配にすることはできるのだ。そして、このような状態のとき、いわゆる潜在脳力が顕在化するのである。