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天才脳にみられる秘密【2】

2005年09月01日  [コラム]

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■天才が克服したコンプレックスの正体
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人はコンプレックス(心の傷)を持っていると、
悩んだり、引け目を感じたり、つらい思いをします。
通常、その状態を何とか克服しようとするだけで精一杯ではないでしょうか?

ところが、その個人的なコンプレックスをもとに、人類の大きな財産となる新学説を生み出したといわれる天才、[フロイト] と[アインシュタイン]から学んでみようと思います。

<歴史を動かした人物から天才を探る>
  ■ニュートン-------------(1642~ 1727)物理学者・数学者
  ▼フロイト-----------------(1856~ 1939)精神科医
  ▼アインシュタイン-----(1879~ 1955)物理学者 
  ■サルトル-----------(1905~ 1980)哲学者・作家 
  ■カフカ-------------(1883~ 1924)作家 
  ■ニーチェ-----------(1844~ 1900)詩人・哲学者
  ■ユング------------(1875~ 1961)精神科医
  ■ゲーテ------------(1749~ 1832)作家
  ■チャーチル---------(1874~ 1965)政治家
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【特徴その2】コンプレックスを活かす
▼フロイト▼
自分だけでなく、みんなも実はおかしいのでないか?という疑問から、その精神的なコンプレックスを心理学への道に研究としてつなげ、精神の真理に没頭した。

▼アインシュタイン▼
言語障害があっても、身近にある疑問を解明するために、延々と打ち込む集中力やこだわりや、しつこさを研究分野へエネルギー転換をした。

■コンプレックスから真理の探求へ
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ジクムント・フロイト.bmp【ジークムント・フロイト】(1856~1939)
オーストリアのユダヤ人。神経病理学者から精神科医で、精神分析の創始者。神経症の研究から、無意識研究、夢の分析的解釈をはじめ、精神分析の理論を確立する。彼の前期の考え方を抑圧の概念を中心にして構想されたのを無意識心理学と呼び、後期は自我心理学と呼んでいる。
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▼性的コンプレックスが目覚めた幼少期
フロイトの父は、最初の妻が亡くなった後、フロイトの母親と再婚します。
フロイトが生まれた時、父はすでに年老いていて、フロイトは6歳になっても小学校には行かずに、家で本を読み、知らぬ世界を吸収していきました。母親はまだ若く非常に美人であったことから、母親に愛着を感じ、父に母親を奪われるのではないかと思い、父を日々恐れました。

そして、彼は、6歳のころから、母親の裸を見ては、性的な憧れを抱き、その美しい母が父の「妻」であるという事実に耐えられず、『父親殺しのテーマ』を頭に描くのです。

▼人類普遍のテーマへの発見
しかし、フロイトはその父に向けた敵意の意味を、深く探る方向に進んでいきます。もしかするとこれは人類普遍の性的な要因から生まれるコンプレックスかもしれないと考えました。

そして、神経活動としての心理活動を解明するという壮大な目的で研究していくのです。その一つが、いわゆる性的な心理的反応「エディプス・コンプレックス※」の発見につながっていきます。
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※エディプス・コンプレックスとは、ギリシャ悲劇の『エディプス王』という物語からの由来で、引用されました。概略すると、母親の愛を独占したい息子が父親を憎んでしまい、そして、その罪悪感から自滅の道をたどるというものです。

▼▼参考までに物語のあらすじ▼▼
エディプスはデーベの王レイアスと女王ジョカスタとの間に生まれた子です。
エディプスが生まれる前に二人は、不吉な予言を受けます。
その予言とは、
「あなた方の子供は大人になると、父親を殺し、母親と結婚するでしょう。」と言うものでした。そして二人は、その悲劇を恐れてエディプスが生まれると、すぐに山の中に捨てたのです。

しかし、エディプスは羊飼いに助けられ、父とは違う国の王の子供として育てられました。成長したとき、ここでも別の予言者が、生まれる前にされたものと同じような不吉な予言をしました。「父親を殺し、母親をめとるでしょう」と…。そして、エディプスは両親(育ての親)のために自分から家を出ます。

そしてエディプスは放浪の旅を始め、その道中でデーべの王(本来の生みの親である父:レイアス王)に、それが自分の父親であると知らずに運命的な出会いをします。しかし、口論の末に、なんと王(実の父親)を殺してしまったのです。

その後、エディプスはデーベの町にたどり着きました。その時、デーベでは王(エエィプスに殺されてしまった父親)の不在のために、怪物スフィンクス※によって危機に陥っていました。(※スフィンクスは乙女のような顔に翼をもった獅子の姿をした怪物で、スフィンクスの出す謎かけに答えられないものは食べてしまうと言う恐ろしいものでした。)
そして、エディプスは、デーべの町を救うために、優れた英知でスフィンクスの謎かけに答えます。

▼スフィンクス・・・・
 四本足であだったり、
 二本足であったり、
 三本足であったりし、
 足の数が大い時ほど、その力は弱く速さも遅い。
 この動物とはなんであるか?

▼エディプス・・・・・
 それは人間だ。
 赤ん坊の時は四本足、大人になると二本足、老いると杖を使い三本足になる。

そして、怪物スフィンクスは、エディプスに敗れ、エディプスはデーベを救ったとして王になり、つまり生みの親である母親ジョカスタの夫になりました。
エディプスはデーベにひと時の平和をもたらしました。しかし疫病が流行しテーベはまた危機に陥ります。
そうなると、人々は予言者に助けを求めます。すると予言者は

「王を殺したものを見つければ、疫病も治まるであろう。」と予言します。

そしてエディプスは昔犯した罪を知ります。知らずに犯していたとはいえ大変なことでした。そのため、エディプスは自分の罪の意識から、両眼を潰してしまい、そして、ジョカスタ(母)は自分で命を絶ちました。盲目には、隠し、抑えられていた願望や考えが明らかにされるときの恐怖、秘密がばれてしまうようなときに伴う恐怖を表しています。
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▼ウィーン大学卒業後の開業医フロイト
まだ当時は、フロイトがユダヤ人であったために、大学や研究者になることが困難でした。そのために、神経科医の開業医として、生計を立てつつ、患者から得られる様々な症状の根底に、何か心理的な影響が神経症を誘発させているとして、子供のころから無意識にある性的欲求がうまく処理されないときに、神経症などの症状を引き起こすと考え、数々のデータから、精神分析という分野を開拓していきます。しかし、神経分析の誕生は、ユダヤ人というだけで、非科学的だと非難を浴びせられるのです。

▼精神分析の重要な概念も生み出す
フロイトはさらに、「転移」という精神分析の理論構成には欠かせない概念もうみだしたばかりでなく、夢の分析でも卓越した成果を上げています。普通は「夢を見た」で終わってしまうことを、彼は、私達が抱えているコンプレックスや悩みを、夢の中で解消、浄化していると説明しました。当時は「夢解釈」と称して商売をする占い師もいたのですが、そういう占い師の扱う世界を、まじめに取り上げ、夢には意味があると考えたところがフロイトの非凡なところです。そして、現在でも生理学的にも夢には意味があり、夢は人間に必要なことがわかってきています。
 
■言語障害を視覚教育で克服
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アルベルト・アインシュタイン.bmp【アルバート・アインシュタイン】(1879~1955)
ドイツ生まれのユダヤ人。相対性理論の創始者で、20世紀を代表する物理学者。独学で斬新な理論を建設する創造性は、哲学や思想界にも多大な影響を及ぼす。幼年期は成長が遅く、知能を危ぶまれた。毒舌とユーモアを持ち合わせた、反戦・平和主義者でもある。
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▼「知恵遅れ」と心配される幼少時
なんと、5才頃まで、あまり言葉を話さず、話し始めるまでに以上に時間がかかったため、知恵遅れではないかと心配されましたが、そのことが彼の頭脳の働きを単なる記号的(左脳的な働き)ではない、全体を把握する脳力(右脳的働き)を養ったのではないかという見解もありました。そして、両親は心配して、初めて自宅に家庭教師の言語教育を受けるようにしたのですが、癲癇(てんかん)を起こし家庭教師に椅子を投げつけたことから、6才から学校に通うことになりました。

▼物事を徹底的に追求する集中力
そして、5才の頃に父親からもらった“コンパス(方位磁石)”が自然界の仕組みに対する興味を引き出したキッカケになっていきます。

小さい頃に磁石を見て、何で引き合うのか?この引き合う力は何なのか?と考えました。授業で「プラスとマイナスは引き合う」と聞いても、アインシュタインはそれで話を終わりにせず、彼は、その目に見えない『何か』が彼を不可解な疑問として青年期まで考え続け、それが後の相対性理論へとつながっていきます。それは、自然界にある基本的な力として存在する『電磁気』の発見でした。

アインシュタインは、コンパス(方位磁石)との出会いについて、
『どんなに動かしても針が常に一定の方角を示しているのを、最初に見たとき、コンパスがこれほど確かな動きをするという事実が、世界に対する私の考え方を変えました。それまで私は、何かモノを動かすには、それに触れなければならないと思っていたのです。しかし、あの瞬間、物事の背後には、深く隠された何かが、存在するはずだということに気がついたのです。』と語っています。

そして、11歳の時にピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しさを証明するのに寝るのも惜しまず、独力で定理を証明し、12歳のときは幾何学の本をもらい、独学で微分と積分を学んでいます。

比較的数学の問題も、納得しながら解いていくため、人よりもスローペースな児童でしたが、独学が趣味であったことから、教室での授業より優先したこともあり、成績は1番になっても、依然として静かな子供で、学校友達と一緒に遊ぶことにはまったく感心がなく、カードで家を作るという、忍耐とねばりが必要な、静かにやる一人きりのゲームが一番のお気に入りだったそうです。

▼自由な校風がアインシュタインを開花させた
15才のとき、父親が事業に失敗し、一家はイタリアへと引越しました。アインシュタインだけ、進学の為に、そのまま残されます。しかし、ドイツの軍国主義的な規律と権威主義の教育を嫌って、兵役を逃れるためにドイツ国籍を放棄し、仲の良かった医者に頼み込んで、一通の診断書に「神経衰弱に苦しみ、すぐにでも学校を離れる必要がある」としてウソ書いてもらい、連絡もせずに、突然両親の元に現れたのでした。この時にして、自由にして闊達なアインシュタイン少年の信念の強さが見られます。

そして、ヨーロッパでも最高レベルを誇る「チューリッヒ連邦工科大学」の入学試験に備え、ギムナジウムに編入します。ここの校風は、ある程度自由が保障されており、さらにこの学校は視覚教育に力を入れていたため、言語に障害があったアインシュタインにとって、昔培っていた視覚能力のおかげで、この視覚教育は相性が合い、のちの研究者としての人生に大きく関わることになります。

▼好きな分野だけに情熱を傾ける頑固さ
大学3年生のときには、物理研究室での実験を怠けていたということで、大学当局の物理学部長から叱責の記録が残りました。理由は、勤勉さの欠如というもので、成績表を見てみると、物理研究室での実験は、最低の「1」で、「電気技術」では、優秀な成績の「6」という、実にはっきりとした格差があることが原因でした。

なぜ、物理学の研究を怠けていたのかというと、「あの人(物理学部長)のしている物理学は70年前のもので、私が、自分の実験のことを話そうとしても、物理学部長は耳を貸さずに、適当にあしらわれたんだ」と言って、自分の好きな分野だけに情熱を傾け、その他の分野は、いっさい無視していたと・・・。

後にこのトラブルによって、大学の助手になれず、臨時の代理教員や家庭教師のアルバイトで収入を得ることになり、友人の紹介で特許局に就職しました。

▼無名の特許局員による新学説の発表
博士号を取得するべく、「特殊相対性理論」に関する論文を1905年に提出しましたが、内容が大学に受け入れられなかったため、急遽、「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出し受理されます。この年は「奇跡の年」として知られ、のちに、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表したのです。無名の特許局員が提唱した「相対性理論」は、当初周囲の理解を得られませんでしたが、マックス・プランクの支持により、次第に物理学界に受け入れられるようになり、そして2年後・・・有名な式E=mc2を発表していくのです。

そしてアインシュタインの理論は、時代の流れの中で、受け入れられたり、批判されたりして、現代科学の広い分野にわたって、その基礎となっていることを否定する者はいないでしょう。最新の理論物理学においても、ブラックホールの解明に応用されていますし、まさに「20世紀最大の物理学者」と呼ぶにふさわしい人物と言われるのもわかる気がしますね。
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二人の共通点は、自分が興味があるものに対して、
ひとつのことに『没頭モードになれた』ことです。

両者とも、ユダヤ人としての迫害を恐れて、自由に研究ができる環境ではない状況下で、気になることをとことん、突き詰めるその並外れた、ある意味・・・執着心!?が天才を生んだのかもしれません。

いずれにせよ、困難な状況下での、あきらめの悪さと頑固さは、“真理”を追求するのに不可欠な要素であったということです。

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