最高の戦略家(前編)
2005年10月12日 [速聴プログラム]
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■アレキサンダー大王の魅力
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なぜ、ブライアンは【戦略】というものを【経営】に結びつけたのか?
そのことを雄弁に語るときに、歴史的にも有名なアレキサンダー大王の物語を題材にして、話を展開させていきます。
そこには、簡潔明瞭にポイントだけをご紹介しているわけではなく、物理的に不利な状況を【戦略】という頭脳プレーによって勝利に導いた【連戦連勝の作戦】から読み解く応用を基本としているのです。
その青年アレキサンダーが若くして王の座を継承し、大王として活躍した歴史から、まずは入門編として【戦略的要素の基本】となった経緯を読み取ることからはじめましょう(^^)
ではでは、さっそく本編に入ります。
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▼父の存在を超える野望
ギリシャ北方に住む一部族であったマケドニア人のアレキサンダー。
ある日、15歳になったアレキサンダーは、デルボイという神から
「平穏な長寿を求めるもよし、短命だが栄光に満ちた人生を求めるも可なり」というお告げを受けるのです。
そして彼は、短命であっても栄光に満ちた人生を求め、選択しました。
4年後、心から尊敬し、学びの師であったマケドニアの王(父親)を19歳のときに亡くすことになります。その父の死は、次なる継承の存在として注目を浴び、青年アレキサンダーの王としての力量を試される運命でもあったのです。
なぜならば、ギリシャ北方に住む一部族であった勢力は、王位に就くころにはギリシャ全土を支配下にする勢力までに領土が広がっていて、亡き王の死によって「ギリシャをマケドニアに支配させるな!」と反旗をひるがえす者や、身内で彼の地位を狙うなど、父親の軍団にも、家族の中にも敵だらけだったからです。
▼6ヶ月の頭角
やがて、王位に就いたとき、陰謀の渦中にいたアレキサンダーは、持ち前の辣腕(らつわん)【※物事を躊躇(ちゅうちょ)することなく的確に処理する能力】をふるって、頭角をあらわすことになります。
まず自軍である反乱分子を鎮圧しました。そして、気心許せる部下を要職に就け、軍をまとめ、外部の反乱軍の制圧にも成功したのです!
こうして彼は、19歳6ヶ月にして、ギリシャ全土の新国王として盟主の座に就きました。
それからというもの、彼は自分に与えられた使命の達成に、全精力を注いでいきます。なぜなら、彼の視界に入った土地は、すべて統治できると神託(神のお告げ)を授かっていたので、父譲りの2万人の軍団を率いて、遠方の敵や反逆者を手中に収めるために、彼の知っている土地をすべてを遠征に乗り出していいくのです。
それは、向かうもの敵なしという精神状態であり、心の中には、すでに勝っているという動機と、すべて手に入れているというイメージによって、「戦う前から勝つための行動をとる」という戦略を考えるようになります。
▼戦わずして勝つ
遠征の最初の目的地は小アジアでした。(現在のトルコ地方のこと)
彼の軍団がその地に入るやいなや、たちまちアレキサンダー軍に激しい勢いで、領土を片端から攻め取られてしまいました。
その後、迎え撃つ敵の軍勢は、破竹の勢いであったアレキサンダー軍の進撃を前にして、戦意を喪失していきます。そして、敵の中から、彼の餌食になるよりは、逃げ延びて再起を図ろうとするものが増え、その空気が兵士たちの間で一気に広がっていったのです。
その背景には、作戦上手な将軍たちを従え、遠征慣れをした兵士たちがいたことで勝利を得たのでした。
一方、ズバ抜けた戦略の持ち主であったアレキサンダーは、占領地域を徹底破壊することなく、略奪の代わりに、占領地を統治するという政策をとりました。
この作戦は功をなし、占領地以外の国も、進んでアレキサンダーの軍門にくだり、貢ぎ物を捧げ、税金を払ってギリシャの保護を求めてきたのです。
そのため、アレキサンダー軍は、やすやすと自軍を南下させることができました。
それは、まるで無人の荒野を行くようなものでした。
敵は戦って武器まで失ってしまえば、滅亡する以外にはなかったからです。
「逃げるに勝る戦略なし」という言葉は、ここから生まれたのかもしれません。
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次号は、
当時、世界最大の帝国であった、ペルシャ帝国のダリウス王国に攻めうる
【アレキサンダー陣営5万 対 ダリウス陣営100万人】の戦い。
20倍もの兵力の差がありながら、どのように勝利を収めていくのか?
☆明日も引き続き、『最高の戦略家(後編)』をご紹介します!
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