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「静寂の時間」

2005年10月26日  [コラム]

「静寂」という名の、穏やかな時間が流れる季節になりました。

この季節は、涼しくさわやかで、五穀や果物が実り「食欲の秋」などとも言われ、我が家の夕食はすっかり、体の温まるお鍋三昧です(笑)。

ふと外気に身をさらしてみれば、自然界での体感温度はもう「冬」の寒さを感じつつ、一方では台風や前線の影響で雨が降りやすかったり、空の様子が変わりやすいことから、「秋の空」は情緒を表すたとえとして、文学の世界でも秋の味わい深さを堪能できます。

そんな秋の夜長に、脳がリフレッシュする休息時間「瞑想(めいそう)」の必要性についてご紹介します♪♪


▼静寂な存在

私たちがまだ、小さな存在だったころ・・・それは、お母さんの子宮内で生命のエネルギーが誕生したときの存在です。

生命の力が存在したとき、不器用にも暗闇の海を漂っています。

そして、まだ目に見えないほどの存在であった私たちを、無償で愛してくれる空間でもありました。

男か女か、金持ちか貧乏か、魅力的かそうでないかなど一切関係ありませんでした。当然ながら、その小さな存在は、この最初の過程では、生き、そして存在するだけで満たされていたのです。

それから、闇の世界を約9ヶ月間も漂い、体の必要な器官が必要なところに配置されます。そして、これから外の世界でうまくやっていけるようにと、へその緒をとおして常に母親は働きかけてくれます。

その助力は惜しみなく注がれます。何の見返りも期待しない、心地よく神聖なエネルギーに満たされて、私達は成長をはじめるのです。

瞑想の時間をわかりやすく説明するとしたら、目も耳も口もなく、何も知らない、何者でもない。自分の人生、自分自身、自分の望み、恐れについての思いなど知ることも考えることもなかった、暗闇の海の中で流れに身をまかせ、愛に包まれた子宮の中にいたような状態なのです。


▼無から有へ

そんな、私たちの体の器官がつくられていく奇跡や、栄養が充分にゆきわたるようにしてくれるのも「生命エネルギー」の働きです。

最初からずっと私たちと共に、わたしたちの中に内在したエネルギーであり、潜在脳力の本質でもあるのです。

しかしながら、いったん生まれてしまうと、かつて自分を統合していたこのエネルギーについて忘れてしまいます。

それは、たぶん自分の目で、エネルギーを見ることができないせいでもあるのです。

そして、子供から大人へと成長していくと、ますます物質的で、現実的なものに頼り、固定概念に囚われてしまうのです。

これを“メンタルブロック”というのですが、願望実現を望む人にとっては、いくら成功のイメージを描いたとしても、どうしても理性が邪魔をして“現実的ではない”からと、潜在意識内で跳ね返してしまいます。

もし、子供の頃のピュアな状態が維持できたとしたら・・・
もし、成功のイメージをそのままインプットすることができたら・・・
  
その感覚を呼び起こすのが、瞑想トレーニングの際にどんな脳波の状態かを確認できる“サイコフィードバックシステム”でもあるのです。

その感覚が身につくと、わたしは、生まれたときから、この生命エネルギーを覚えている!と気づくことができます。それは、潜在脳力の本質が実感できる(悟り)の瞬間でもあるのです。

もしそのエネルギーを使うことで、漫画やアニメの世界のように空を飛んだり、ビームを出せたり、変身したりできるとしたら、きっと誰でも必死に訓練すると思います(笑)。

たとえば、テレビの電源を入れるリモコン。

スイッチを入れるとすぐに画像が現れ、何か見えない力が働いているのがわかりますね。

しかし、ふだん私たちはその力について、ほとんど意識することはありません。けれども、もしコンセントを差し込まなかったり、スイッチを入れなければ、テレビは「作動しないこと」を実感します。
  
私たちはそこで初めて目に見えない存在に気がつき、そして“電気”という光と音や画像に変わる見えない力が、わたしたちの望むものを創り出していることに気づくのです。


▼見えないエネルギーの栄養源

目に見えないその存在は、わたしたちが活動するうえで不可欠なエネルギー源です。

その奇跡的なエネルギーを活動させるためには、テレビのように、最初は休止状態です。

瞑想は難しいとか。何もしないでただ座っているだけなんて、ばかばかしい気がする。と思っている人もいるかもしれませんが、実は「何もしていない」わけではないのです。

なぜなら体は休息していても、生命の電流は流れています。

それは、日常から離れ、誰にも邪魔をされることのない自分にとって神聖な神殿で祈りを捧げているような時間でもあるのです。

命の力を自分の存在に流入させ、パワーを活性化し、「静寂の存在」だった頃を思い出している状態でもある「瞑想」は、体に一日3回の食事を与えるのと同じように、自分の魂にも栄養を与えていることでもあります。

一日のうち、わずかな時間でも、目に見えない命の力に身をゆだね、スピリチュアルなエネルギーと体内エネルギーが循環すれば、おのずと考える力が増し、スピリチュアルな理解が深まるのを感じていきます。

それは、「静かな心で知る」というインスピレーションの源でもあるのです。

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